2005ネンブログ
夏目漱石「文鳥・夢十夜」
漱石読破プロジェクト7冊目。新潮文庫の活字が大きく改版されたのがなかなか出てこないので、短編集を読む。なかなか不思議な夢十夜、文鳥ほか各作品に漂う無気味さ。さて、やはり正直によくわからんと云っておこう。
「あの子を探して」はチャンイーモウのベネチア金獅子賞受賞作品。
中国の辺境の貧しさの中、子供が町へ出稼ぎに行くのをたった13才の先生が探しにいく話なのだが、子供が町へ行くのがいやなのか、病気の母親がどう思っているのかわからないので、少女の先生が探しに行く動機が曖昧で、感情移入しにくい。しかしこれも分かった上での演出なのだろう。最初は時代背景が分からず、町の景色で現代だと分かるところは衝撃。そして最後のシーンは秀逸。うーん、でもやっぱり「初恋の来た道」のチャン・ツィイーのほうが好きだな。
谷川俊太郎「ひとり暮らし」
谷川俊太郎って、そのイメージと異なり、3回結婚して、3回離婚して、いまはひとり暮らし。そのエッセイ集から、「歓びは快楽や楽しみとも違って、いのちの源から湧いてくるもの」「アートが目指すはずの美というものはどこに行ってしまったのだろう」
夏目漱石「草枕」
漱石読破プロジェクト6冊目。日本語の美しさ、江戸から近代への日本語を書き留めるための作品か、無教養の私にはちとつらい。ストーリーがほとんどない反文学、いまでも前衛。
和田誠のグラフィックデザイン展
堂島のdddギャラリーにて「和田誠のグラフィックデザイン展」を観る。残念ながらここでも原画や色指定の書き込みがしてあるようなものは展示されてなかった。ポスターが多くあり、これは版も大きいので並べてあると見ごたえがある。多彩だけど一番はデザイナーじゃないかなと思う。
塩野七生・五木寛之「おとな二人の午後」
贔屓をつくる贅沢は、そのとおりと膝を打つ。塩野七生がこんなにミーハーなのには驚いた。さて、いつローマ人の物語を読むチャンスがやってくるだろうか。それも楽しみに。
「出る杭は打たれるが、出すぎる杭は打たれない」福島瑞穂
「出る杭は打たれるが、出ない杭は腐る」五木寛之
贔屓の小須田康人がインタビューを受ける番組を見る。彼があまりに生真面目で礼儀正しいのに驚く。東京の中高一貫超進学校出身というのにも。小劇場くずれみたいな感じにもならず、鴻上様様にもならず、凛とした風格がある。もっとメジャーになっていい。
先日、高島屋大阪店美術画廊で「開光市展」を観た。
いつだったかの日動画廊以来で久しぶりにみて、さらなる引き込まれるような画風に圧倒される。見るものを拒んでいるようででも見入ってしまう。見ずに入られないなにか。小品ですらそうであり、絵が飾る家を選ぶのではないか。会場の案内に島田章三が賛辞を寄せていたが、そこでは「刹那が立ち上がる」と表現していた。
いやあ、よかった、よかった、一万人の第九。
私は一回フライング、2回出遅れ、でも気持ちよく歌いました。森山良子もよかった。
前日リハといってもリハビリではない。第九の公演の前日リハーサルを大阪城ホールにて。ゲストの森山良子が普段着で普段眼鏡をかけて、音合わせするのを見ることができる。気に入らなくて同じ曲を再度歌ったところはさすがプロ。
重松清「流星ワゴン」
本の雑誌べストワンの傑作と評判の流星ワゴンをようやく読む。うーん。重松清は泣かせるストーリーテラーと知っていて浅田次郎とともに近寄らないようにしていたけど、これはあまり気持ちが入っていかなかったな。親子の関係、自分のことでいえば私と父親、私と息子ということに重ねあわせてということになるのだろうけど、そうはなりませんでした。ストーリーはうまい、一気読みでした。
大阪市立美術館の南仏モンペリエ ファーブル美術館所蔵魅惑の17−19世紀フランス絵画展を観る。
クールベの「こんにちはクールベさん」をはじめ、印象派の前の時代の絵画、ドラクロワ、クールベ、バビルゾン派・・・まだよくわからないというのが正直なところ。
漱石読破プロジェクトの小休止で、漱石探偵の半藤一利の「漱石先生ぞな、もし」を読む。
自由自在の探偵ぶりが面白すぎるぞ。学校でも「こころ」を読んで、感想文を書かせるんじゃなくて、こんなアプローチをすれば、もっと関心を持つと思うのに。私もようやく親近感を持ってきた。
名古屋のハセガワアートへ久しぶりに出かける。明日からの「島田章三の小宇宙展」の準備中で、頼んで少し観せてもらう。
長谷川社長によると、島田章三は学長職の激務にかかわらず、だからこそ絵を描くことで元気を作りだしているとのこと。なんと新作ばかりの個展である。油絵から水彩、陶彩・・・と多彩。あらためて、この画家の全貌を知りたいと思う。
田辺聖子「ほっこりぽくぽく上方さんぽ」
ほっこりぽくぽく上方さんぽと題名そのものの散歩日記。田辺聖子は昔、カモカのおっちゃんのシリーズを読み漁った時期もあったけど、久しぶりに手に取ると、深い教養と寛容さ、これはただものではない懐の深さ。古典への素養がなくて、たぶん面白さ半分しかわからないけど、それでもほんとうに面白い。
佐渡練(第九その1)
佐渡裕が私たちに直接レッスンをする。いつも思うことだが、音楽を表現するときに言葉で語り、いろんな比喩、直喩を駆使して語り指導する。その表現も素晴らしい、そして楽しい。12月4日の第九の本番に向けて。
シドニー・ポラック監督、ニコール・キッドマン、ショーン・ペン主演の「インタープリター」を観る。
国連は見学に行ったことがあるが、ジャパニーズツアーではなく、イングリッシュツアーだったので説明がよくわからず、なんだか予算が減っていて大変だというぼやきが印象強い。総会を行う会場も古臭く感じたが、映画ではそうでもない、人がいない会場の案内だったからか。テロの連鎖を断ち切る智恵が大きなテーマだとすれば、もう少しストーリーが整理されてもよかったのでは。それにしてもニコール・キッドマンは美しすぎる。
高島屋グランドホールにて、大正、昭和の二科展の画家たちの作品により近代洋画の歩みをたどる「二科黄金の時代展」を観る。
名前しか聞いたことがない画家や、まったく知らなかった画家の作品は、勉強になったというか、さわり集を観たというか。宮本三郎の華やかさに眼が行った。まとめて作品を観てみたいものだ。
いつも気になっていたが、買ったことのなかった、雑誌「コヨーテ」をはじめて買った。
特集「深夜特急ノート」とあり沢木耕太郎の30年を解く試みでおもわず購入。沢木はどんなときも、見えないところでも、スタイルにこだわり、それが作品にも表れ、好き嫌いに繋がるわけだが、私にはそれが面白い。編集長の新井敏記のスタイルも強烈だ。
サントリーミュージアム天保山へ「アール・デコ展」を観に行く。
いつも思うのだが、この安藤忠雄建築は、部屋から次の部屋へ移っていくと、突然全面ガラスの外の海が見える部屋があり、薄暗い作品の展示してある部屋から、眩いほどの外光の部屋というコントラストが素晴らしい。何度でも行く。隣のホテルの食事も静か。
永島慎二さんの追悼号として、ビッグコミックワンを入手。
本格的なものが出るには時間がかかるのだろうか、まとまったものを読みたいものだ。夢ではあるが、「漫画のおべんとう箱2」はないのかな。漫画でおなじみだった弟子の野間さんのHPで、お墓参りのことが書いてあるのを発見。私もいつか行こうと思う。
漱石読破プロジェクト5冊目
夏目漱石「三四郎」は昔読んで、なんともたるかった印象があるが、今回も同様。広田先生や野々宮さんは魅力的であるのだが、当時の帝大生、超エリートの三四郎といえば・・・。うむ内省的な三四郎を創作するところが漱石なのか。「三四郎」と「それから」「門」で三部作なのだそうだ。
明石市立文化博物館の「有元利夫展−光と色・思い出を運ぶ人−」に行ってきた。
有元の作品を一堂に介して観るのははじめてのことで、うれしい限り。油絵、素描、版画、立体と盛り沢山で、とくに油か本当の手法はよくわからないが、画集の印刷とはかなり違う繊細な表現が観ることができる。モノクロの銅版画もいいなあ。有元のVTRがあるらしい、観てみたい、リコーダーを吹いている映像もあるらしい。そういえば有元の作曲したCDを販売していた。明石ははじめて来たのだが、駅前に城址のある公園があり、贅沢な街だ。
オペラ座の怪人をDVDで映画版を観る。舞台の迫力、舞台という制約の中での演出の見事さが、より印象づけた感がある。映画を観て、舞台のよさを再認識。四季もよかったけど、ブロードウェイで観ておくべきだったなあ。
沢木耕太郎「凍」
今度の新作は山岳もので、沢木耕太郎もジャンルを広げていくのだと思いながら「凍」を読む。寝床で4晩かけてゆっくりと読んだが、3、4晩は夢に見てしまった。それほど壮絶な登攀、なぜゆえに指をなくしても挑むのか、その答えは簡単な、簡単すぎることだ。そうなんだろうなと思うしかない。山野井夫妻のことはまったく知らなかったが、沢木が関心を寄せた理由はよく分かる。
大阪市立近代美術館心斎橋展示室にて「旅する”エキゾチシズム”−日本の画家たちが見た異国−」展を観る。心斎橋筋の喧騒からちょっと立ち寄ると静かな美術館というシチュエーションは良い。ただし展示にもっと工夫が欲しい、もったいない。
小熊英二「民主と愛国」
1000ページ近い大作。6300円なので手が出ず、図書館でようやく借りる。しかしそのためか挫折、やはり走り読みになってしまい、かつ、頭悪く理解できない部分も多い。戦後日本のナショナリズムはどう育っていったかを、戦後の知識人の思想と行動から解きほぐしていく。それは一筋縄ではない。また、それぞれの戦争体験がこんなに影響を及ぼしていることは意外。こういうことの上に、私たちの社会があり政治があるのだと強く思う。やれやれ。
17日は、フェスティバルホールで吉田拓郎ライブ。
来年は還暦、59歳の拓郎は元気でした。75年に作った「人生を語らず」という歌は、30年を経て、越えていけそこを、越えていけそれを、今はまだ人生を語らずと、歌う拓郎と、スタンディングで一緒に歌う我々の、30年の重みを実感した一瞬であった。熱い。
さて、来年はつま恋での野外イベント。60歳の拓郎がステージで歌い、およそ50代のオーディエンスが何万人と集う、画期的な高齢者イベントになるのだ。凄い。
高校演劇全国大会優秀校4校の演劇をテレビで放映されたので、録画して1日に1本づつ4日間かけて観た。
いやはや面白かった。「報道ステーション123」「としどん」「HR」「修学旅行」高校生の切実な問題は、コミュニケーションなのだということがよくわかる。不登校あり学級崩壊あり友人関係あり・・・顧問の先生の影が見えない作品がより面白い。
インデペンデンスシアターという妖しげなホールの前列2列目、椅子ではなく木箱に座布団という席で、ヨーロッパ企画の「サマー・タイムマシン・ブルース」を観る。こんな雰囲気の芝居を観るのは、彗星86以来のことだ。若者がふだんの言葉と発声で、部室を舞台にくりひろげられるSFコメディ。それが、私の好きなタイムマシンものなのでうれしい限り。なんといっても演劇ならではの早変わりが楽しい。最後の方のロッカーに隠れて、すぐに着替えて扉から出てくるところはうまい。理系劇団ともいわれているらしいが、そのせいか下品さがなく、汚い格好なんだけど汚らしくない芝居であって、最近人気急騰中だということが納得できる。あっという間のタイムマシンに乗ってしまったような2時間であった。ただし、終了と同時に、客も面白くて、あ終わっちゃった、と余韻に浸り、ハレの世界にまだいるのに、すぐに映画の宣伝と物販の紹介はないぞ。一回くらいカーテンコールがあってもいいし、新しい客をつかみたいなら順に自己紹介挨拶という手もあるぞ。でも、一気に日常にもどすという演出だとしたら、そういうのもありかな。
「東京原発」
昔、東京に原発をという本があって、そのタイトルに皮肉でもなんでもなくそのとおりだと思ったものだ。この映画は、警句としての東京原発で、それはありきたりであり、幹部らの無能さと教授の怪しげさも薄っぺらな感じ。もっと直球勝負して、観客に判断を任せればいいのに。惜しい。
下妻物語をビデオで観た。
大林のデビュー作HOUSEを思い出した、その演出を現代にもってくるとこんな感じか。キネ旬3位だそうで、スィングガールズのときも思ったが、この雑っぽいところがいいのだろうか。このヒラヒラ系のファッションが、ロリコンファッションといい、自己防衛、自己完結の道具になっているというのは感心。
テレビで、平田オリザ作の「その河をこえて、五月」という芝居を観た。
日韓合作の芝居ということで、重苦しい話しかと思っていたが、もちろんそのことを触れるわけにはいかず、というかそのからみの話に終始するわけだけど、普通の人の持つ普通の感覚でほぐしていくセンスに感心した。また日韓に限らず、異国間のコミニュケーションの困難さと喜びを、特に三田和代がいかにも楽しそうに表現し、じわっと気持ちのよい芝居であった。こなれていない部分もあったし、予定調和的だという批判もあろうかと思うが、一度平田オリザの本物舞台も観てみたい。好きな小須田康人はもっとがんばれよですね。
衛星放送をつけたら、クラシック番組でなんだかとても楽しそうな音楽。フィルハーモニア・シュランメルン,ウィーンの公演。これは楽しい。録画すればよかった。CDかDVDを探そう。ウィーンのホイリゲと呼ばれる居酒屋で、ギターとアコーディオンとヴァイオリンのための楽しい音楽音楽を聴きながら、ワインなどを飲むのだそうです。フィルハーモニア・シュランメルン,ウィーンはウィーン・フィルのメンバーで構成されたアンサンブルなんだそうです。オペレッタのような、まったく知らなかった世界だ。
スターウォーズシスの復讐フクシュウ
1978年にスターウォーズ(W)を、テアトル東京で小野君という友人と観て以来、27年後、ナビオTOHOでようやく6部作完結篇を観る。なんと27年も経過していることに改めて驚く。78年は仕事を始めた年で、あれから27年。シスの復讐は、Wに繋ぐためにかなり苦労した様子で、それでもダースベーダーの胸のボタンのようなものは時代遅れでも、お面は今でも優れたデザインで、それは見事であった。ともかく、27年の時の流れをしみじみと振り返った映画であった。
谷川俊太郎「詩選集1、2、3」
集英社文庫から谷川俊太郎詩選集が全3巻で刊行されて、その第3巻完結。寝る前にときどきひとつふたつ声を出して読む。ほんとうはいいのかわるいのかわからない。でも読みたいと思うのは谷川俊太郎だけ。
山田洋次時代劇第2弾の、映画「隠し剣鬼の爪」をようやく観る。
やっぱり主役は剣の達人なんだよね。そうなんだけど、やっぱりずるい。藤沢周平は、近寄らないようにしている作家であるがうずうずするなあ。
丸谷才一「花火屋の大将」
最近の丸谷才一のエッセイは、教養がないと読めなくなっていると思う。そりゃあ、語り口はやさしいし、変幻自在だし、下世話な話を織り込むのはうまいし、でも核心は教養がないとわからない。面白いけど、くやしい。
ブックオフ版真保裕一「朽ちた樹々の枝の下で」読了。
厚い文庫だったので、2つに割って読みました。最後に来て、わりとあっけなく終わってしまったが、やはり面白かったとしかいいようがない。もうすこし林業の問題も盛り込まれてもよかったか。
夏目漱石「坊ちゃん」
漱石読破プロジェクト第4弾は坊ちゃん、まさかこの本を読み直すなんて思ってもいなかった。が、映画やテレビの記憶が大きく、本を読んでて、赤シャツを成敗する場面で、あと数ページしかなくおかしいなと思っていたら、ストンと話が終わってしまった。最後にはうらなりとマドンナが結ばれるとてっきり思い込んでいた。坊ちゃんが江戸で、山嵐が会津なのは成る程と。
子供のためのシェイクスピアカンパニーの公演を観に行く。
今回は「尺には尺を」と、名前すら聞いたことがない。大阪公演はパナソニックが後援していて、料金も半額程度で、天満橋のドーンセンターというきれいなホールであった。ストーリーはシンプルで、わかりやすく、しかし深みに欠けるという感じもしました。こんなところからシェイクスピアにとっかかっていけるのもうれしい。
パリルーブル美術館の秘密
ルーブルの裏側を紹介するドキュメンタリー映画を観る。当たり前のことだが、裏側で支える人たちや仕組み、組織があってこそ、私たちは気持ちよく展覧会を観ることができる。それにしても、想像以上の光景をこの映画は見せてくれた。渋い。
大阪府立弥生文化博物館で開かれているモリカズの水墨画、書の展覧会へ出かける。あるところまでいってしまって、その後は「へた」も芸術ということか。そこまでいく回顧展を観てみたいものだ。
神戸市立博物館の後、三ノ宮駅北側のギャラリー ラ・ポールへ榎並和春展を観に行く。今回は人物より風景が多かったせいか、
改めて油絵とは違う、なんといったらよいかレリーフというか、オブジェというか、その質感だけに目が要ってしまうということを発見。
大作を観てみたい。さらにその後、帰り道に、「西宮市大谷記念美術館」へはじめて寄る。西宮市は立派な美術館を持ち、隣りの芦屋市の美術館はどうなったのだろうとふと思う。庭園回廊も気持ちがよかった。
神戸市立美術館へベルリンの至宝展を観に行った。はじめてボッティチェリの絵を観た。はじめてプーシェの絵を観た。古代ギリシャ、ローマの彫刻作品が多かったが、やはり絵画を観るのはうれしい。
マンガ夜話の永島慎二再放送をみる。出演者のそれぞれ愛憎交えた距離の置き方に強く共感する。私も同じことであったからだ。
しかし、それを越えて、隠居漫画家になってからの永島慎二を見届けたいと思い、また、描かれている線やデザインセンスが好きだということを表明したいのだと、7月6日、7日に書いたということです。すこし、気持ちの整理ができました。
沢木耕太郎「酒盃を乾して」
沢木のノンフィクション全集の最終巻。やはり「杯」が充実感がある。単行本で読んだ「冠」よりよかった。沢木は書く対象に、どれだけ思いを入れ込めるかにより作品が決まるということがよくわかる。
兵庫県立美術館へモロー展を観に。
象徴派というのでしょうか、堪能しました。聖書の世界より、ギリシャ神話の世界を多く描き、よくわからないものも多かったが、それでも強く惹きつけられる。デッサンや水彩の習作が多く観ることができ、それも面白かった。画集が欲しくなった。
モンパルナスの灯
ジェラール・フィリップ演ずるモディリアーニの生涯は昔の芸術家を絵に描いたような苦悩と、妻である美女アヌーク・エーメそして姉御パトロン(女優不明、これがいい)の献身というストーリー。彼の生活破錠が絵と関係があるのかよくわからない。絶世の美男といわれたJ・フィリップは、なんだかマイケル・J・フォックスに似ているなと気になって仕方なかった。
小川百合「英国オックスフォードで学ぶということ」
英国オックスフォードで学ぶということ―今もなお豊かに時が積もる街―の作者は50代の女性画家、版画家で、オックスフォードへ留学したその体験記である。公費留学で、生活臭のある苦労話もなく、スノッブな文章ではあるが、そのように書かせるのがオックスフォードという街の魅力なのだろう。装丁の作者の版画が目を離させない。
榎並和春個展の案内が送られてきました。神戸ギャラリー・ルポールで7月21日〜26日壁のような厚塗りの静謐で思索的な絵を描かれる画家さんです。行きたいが、まだスケジュールが立たない。
野崎昭弘「詭弁論理学」
安野光雅つながりで野崎昭弘の詭弁論理学をようやく読む。論理的のものを考え、かつ詭弁を駆使できる才能が欲しい。ほんとに平気で詭弁を弄する輩が多くてうらやましい。
永島慎二さんの多くの評価が「漫画家残酷物語」で、知名度が「柔道一直線」で、人気が「フーテン」というのでは、違和感を感じます。またあの頃の青春という時代の空気としてではない、普遍的な評価がされてもいいのではないかと感じています。彼の漫画は「線」だと思う。あのわざとへたくそに描いた線、筆で書いた線、軽やかな線、自由自在である。隠居して、好きなことしている風だったのに、好きなように描きたい漫画だけ描くことはなぜできなかったのだろう。再評価されるのを待ちたい。
ダンさんこと永島慎二が亡くなったとの新聞記事を読む。体調がよくないという話はあったので、心配をしていたが、やはりこの「銀河鉄道の夜」が遺作になってしまった。一度だけサイン会でひとことふたこと話をしたことがある。ずっと悩める人だったのだろう。だから無理して隠居漫画家となり、無理して下手な線を引いた、無理して明るい漫画も描いた。だから、その軽快な漫画こそ胸に染み、好きだった。本当に好きだった。
沢木耕太郎の「シネマと書店とスタジアム」は、全集の収録作品が入り乱れたため、どうしようか迷ってたところ、文庫化されて購入。「冠」の時にも思ったことだが、沢木は熟成させて原稿を書くタイプの作家だなと思う。映画評は観てみたいと思わせるものばかりであったが、オリンピック、サッカーW杯のそれは感想文だ。
真保裕一の短編集「盗聴」を読了。はずれる心配のない、ねっころがって読む本として最高。
林望「リンボウ先生イギリスへ帰る」
映画「みんなのいえ」の中で、玄関ドアは外開きか内開きかという議論があって、これはどこかで読んだなんと思いながら、この本を再度手に取ったら、開けドア!というエッセイ。しかしこれではない、どこで読んだのだろうか。
ようやくレンタルで観た「真珠の耳飾りの少女」はフェルメールのデルフトを舞台にした、すべてイマジネーションで作り上げた物語。
いまのデルフトで撮影したのだろうか、いかにもあの当時はこんなだったのかと思わせる。スカーレット・ヨハンソンは有名女優らしいが、髪を男に見せることが、官能的であることを表現する表情が美しい。絵の具を作るところも興味深い。
重松清「日曜日の夕刊」
この作家には、読めばきっと面白いにちがいないと思っていたので、近寄らないようにしていたが、とうとう手にとってしまった。後藤を待ちながら、卒業ホームランは泣ける。いかにも琴線に触れる話は困ったものだ。
赤瀬川原平が別名で芥川賞を受賞したことは知っていたけど、当時は、関心がありませんでした。尾辻克彦「父が消えた」その後、赤瀬川原平に関心が行き、それで彼の文学作品も読んでみたいと思ったのですが、品切れ。今回、河出文庫から再販されて、ようやく読むことができた。で、これはエッセイと同じ文体ですな、興味深いが、だから文学から手を引いてしまっている理由もわかるような気がする。
下重暁子「ふたり暮らしを楽しむ」
副題が不良老年のすすめで、結局は背中シャキッとして行こうというエッセイ。夫婦ふたりであろうが、ひとりであろうが同じことだと思う。いや、今の時点でだってということでしょうね。
国立国際美術館のゴッホ展を観ました。平日なのに多くの来館者で、やはり人気が高いのだと感心。
話題だった「スウィング・ガールズ」をレンタルでようやく観ました。ブラバン出身者としては、興味がありました。が、徐々に上手になっていく喜びが描かれていない、高校生の機微が描かれていない、という点で、こういうのって本当に楽しいねということがうまく伝わってこなかった。エレキの2人組の心情、本仮屋の強い意志なんかも描き出して欲しかった。でも、あっけらかんと楽しめました。
椎名誠「かえっていく場所」
久しぶりに椎名本を。はなればなれになっている家族が集まる。そういう時間があれば、それはやはり意味があることなのだ。
安藤忠雄の風の教会を観てきました。六甲山の六甲オリエンタルホテルにある教会、運良く結婚式が終わったところの、入口が空いたままで、見学の許可をもらって中まで見られました。安藤忠雄はデザイナーですね、かっこよすぎる教会内の材質感と光と影の演出。こんどは光の教会だな。
篠田節子「女たちのジハード」
深夜の弁当工場の話と思っていたら、まったく違う、勘違い、別の本であった。「負け犬」の働く女たちの、まさにジハード。男たちが持つ会社での労苦とはまったく違う障壁、特にキャリアでない普通の女性社員(OLと呼ぶな、なぜOLなのか、社員じゃないのか)のなんともいえないものを描き出して、かつ明るい。
安野光雅「絵のある人生」
絵本作家、イラストレーター、デザイナーとして有名な安野光雅は、やはり画家なのだ。彼の経験から絵画というものを熱く語るのを読むのは楽しい。何度でも云うが、水彩画を1枚ほしいな。
サントリーミュージアム天保山へレイモン・サヴィニャック展を観に行った。
まったく名前を知らなかったデザイナーであったが、とてもセンスがよいポスターと、いま一歩のものがはっきりしている。フランスでの感性と日本とは少し違うのかもしれない。個人的には和田誠のほうが断然センスがあると思う。といっても、とても楽しめた展覧会であった。
堀江敏幸「いつか王子駅で」
名品と噂には聞いていたがようやく手に取る。うーん、こういう話か。ストーリーではない。全体を通して静謐、淡白な日常のひとつひとつが光を放つ。心の「のりしろ」、余白を取ってそこに糊をきちんと塗らなければ形が整わない、最後には隠れてしまう部分に対する敬意を備えておくこと。話の終わりごろに、すこし作者は自分をさらけ出す。
安野光雅「村の広場」
どうしてこんなことをこんなに思いつくのだろう。こういう数学的というか論理的な遊びは本当に楽しい。円周率を3とするという教育についてのコメントはきわめて論理的である。
強いボクサーは喧嘩に負ける。
吉本隆明「悪人正機」を読了。糸井重里が対談のようにもっと突っ込んでいく様子を読みたかった。自己評価より低い仕事をやりなさいというのは、もっていた考えと逆だったので、なるほどと思う。
四天王寺から清水坂を抜けてでんでんタウン、難波まで散策。三岸節子展を高島屋で、生誕100年記念とのこと。ヨーロッパの風景画が大胆な構図と色彩でみごと、今後もっと絵画も生き方も評価されるであろう。愛知県尾西市にあった美術館は、合併して一宮市立に、一宮市はこれで美術館を持ったことに。
宮本輝「焚火の終わり」
これはめずらしく、いまひとつ気持ちがはいっていけなかった。ブックオフで単行本上下美本210円では文句はいえない。
ドレスデン国立美術館展を、兵庫県立美術館で観てきました。
日曜なので混んでいるかと思いきや、フェルメールを独占して観ることができました。「窓辺で手紙を読む女」は窓ガラスに映る女性の表情までよく見えて、感心しました。レンブラントのエッチングもいいなあ。欲しいなあ。天気はいいし、海岸は気持ちいいし、安藤忠雄のコンクリート打ちっぱなしはかっこいいし、よい展覧会でした。ところで、ヘンリームーアの彫刻の前で、同じ格好で寝ている人がいたのだが、これなパフォーマンスではないのだろうか。つい写真をとってしまった。
沢木耕太郎「冠」
普通は原稿を書き上げてから掲載している作者が、今回は、掲載されることを前提に原稿を書いている。人気作家であればどちらにしても掲載されるのは決まっているのでどちらも同じようだが、やはり練られた作品という印象を受けない。あくまで観戦記だ。
それにしても私自身もアトランタの印象は薄いのはなぜだろう。
3冊目だ。夏目漱石「こころ」
中学生のときの読んだのだが、武者小路の友情と話がだぶって記憶しており、こんな話だったかと驚く。明治の知識人の近代における苦悩として、現代にあふれる利己心というものを深く思索する。まったくもって漱石は現代文学だ。
村上春樹の作品とエッセイ周辺の落差はきっと戦略なのだろう。今回は村上モトクラシといういままでとちがう切り口で。arneの自宅紹介といい、想定外の展開ですね。楽しみができた。
自治会の花見は、先週の日曜が雨で延期、明日の日曜が雨予想で結局中止。静かに見てきました。
葉のない花だけで満開だから桜は美しいといわれる。毎年、待ち望まれて、それに応えるように日本を縦断していくのは、桜の特権か。
ここじゃないもっとどこかへと吉田拓郎は「遥かなる」という曲で歌ったけど、ある高校生の言葉に、「ここでないどこか」を探すのではなく「ここでなにか」を探す、と。
もう、家を建てられるなんてことはないと思うが、宮脇壇「それでも建てたい家」志のある建築家はしっかり勉強していることがわかる。しかも建築だけでなく。先日亡くなった丹下健三も偉大だったという記事ばかり。やっぱり勉強なのだ。
ナショナル・トレジャーというニコラス・ケイジ主演を観に行く。
昔、1ドル札のピラミッドの目玉男は、秘密めいたなにかがあるという記事を読んだことがあり、そういった探求と独立宣言との歴史ミステリーかと思っていた。ところが、はじまってデイズニー・・・とクレジットが出て、しまった!インディ・ジョーンズばりのアクション、宝探しごっこは楽しかったという映画でした。
今、買わなきゃ本のリスト。どれも2000円以上で、本は高いとは云いたくはないけれど、またこんど来た時にと思ってしまう。池澤夏樹「静かな大地」2415円辻井喬「父の肖像」2730円辻井喬「沈める城」(と、いってるうちに在庫がない模様、文庫にならず)沢木耕太郎「冠」「杯」3360円安藤忠雄「建築手法」2940円村上龍「半島を出よ」3885円
星野知子「パリと七つの美術館」モロー美術館へ行ってみたい。
私は書店観光を趣味のひとつにしています。あの頃、リブロは衝撃的でした。田口久美子「書店風雲録」そんなリブロのはじまりから終焉までを書店員としてかかわった作者の記録。ここでも堤清二の理想と挫折が投影されているのだなと感慨深い。
この時期にこの場所で、雪が降るなんて。若者が好きなモダンホラーなのか、恩田陸「球形の季節」前半はノスタルジックに地方の高校生活が描かれるが、後半はなんだかなあ。ファンタジーなんだろうなあ。「夜のピクニック」がよかっただけになあ。
劇場中継「櫻の園」
中原俊監督の「櫻の園」にはまり、吉田秋生の原作「櫻の園」を読み、チェーホフの舞台を観てみたいとずっと思ってきたが、ようやくテレビの劇場中継で観られた。しかも続けて2本である。1本目は、蜷川幸雄の「櫻の園」(麻実れい主演)であり、2本目は栗山民也の「櫻の園」(森光子主演)である。前者はたぶん正統的な演出で、麻実れいと香川照之の存在感が圧倒的で感心したが、後者は舞台を日本に置き換えいまひとつの感があった。先に後者から観ればまた違った感想を持ったかもしれなかったが、それでもずっと思い続けてきたことがひとつできたことがうれしい。蜷川演出いや美術も斬新。
KPOキリンプラザ大阪へ和田誠シネマランド展へ出かける。原画がなくちょっと安易な企画展で残念。しかし仕事場の写真がほぼ原寸で展示され和田誠の作ったオブジェが楽しそう。絵コンテもよかった。レストランのゆったり感と窓からの道頓堀の眺めはよい。エールビールもおいしい。
第36回日展を大阪市立美術館で観ました。
前に日展を観たのはいつだったろう。あの頃はすべての画家から選ばれた人の展覧会と思っていたのですね。公募展というコンセプトではやはり魅力に欠けるというのが正直な感想です。この大阪会場は作品が少ないような、昔はいっぱいあった記憶がある。
大橋歩の発行編集のArne10号に、村上春樹の自宅の仕事部屋、居間が写真入りで掲載されており驚く。ただし表紙にはその記事の案内はなく、さりげなく掲載されているのはこの雑誌の品位を示している。ついはじめて購入してしまった。Arneのサイトは、http://www.iog.co.jp/arne11-1/10.htmlところで、村上春樹はパナソニックのロードレーサーに乗っている。
ひなまつりに縁なし。
私は高校で世界史を受験科目に選ばなかったので、ルドルフもマクシミリアンもフェリペもヨーゼフもフランツもなにがなにやらわからずなのである。中丸明「ハプスブルク一千年」名古屋弁を話す王様たちが、波乱の歴史を作っていく。下世話な語りであっても、やっぱりルドルフもマクシミリアンもフェリペも頭の中で整理できず、ただただ読み終えて、権力というのは妖しいものだなあと思うのみ。
神戸出身、山梨在住の榎並和春さんという画家のHPは知っていましたが、ブログを見つけました。まだうまく説明できないけど気にかかっている画家です。はじめてのトラックバックというのはどんなふうかな。
ここじゃないどこかへ、春を待つ季節に。星野知子「子連れババ連れ花のパリ」寝っころがって、くすくす笑いながら、すぐに読み終えてしまった。惜しい。おおらかで品のよい好きな女優だけど、テレビにはあまり出ないからな。
高校生ものはやっぱり面白い、恩田陸「ネバーランド」
ある高校の学生寮で冬休みに帰省しなかった4人の高校生の生活が伸びやかに描かれる。と思いきや彼らの過去は重く、そこは違和感のある展開。ホラー系もいらないなあ。ということで夜のピクニックの成果を産み出したのか。しかし高校の3年間はやはりなにものにも変えがたい3年間であるなあ。
静かな日常風景である。夏目漱石「門」京都帝大を出た役人がある事情により世間の片隅で妻とひっそりと暮らしている。「それから」のそれからといわれているが、大きな事件も起こらず、ただ淡々と流れていく。漱石が亡くなった年から、漱石を読み直す、いや読み始めての2冊目である。それを一気に読ませる。文章が端正で表現に富み、現代風の言い回しも見られ、面白いじゃないか、はまってしまうぞ。
何年かぶりにふらついて1日半寝ていた。なんにもしたくない。うなずきんはただうなずくだけ。
ようやく観てきました。夫婦50割引ってので、これはうれしいなあ。宮崎駿「ハウルの動く城」
なんだかよくわからん映画だったなあ。これは批判ではなく、不思議なところがたくさんある、説明的でない、そこは客に媚びないよい点だと思うが。でもキムタクを使うというところですでに媚びているからなあ。そういうことは必要としない作家であると思うのだが。動く城の動きと、飛行機は宮崎駿以外では描けないオリジナリティがありこれはすばらしいに尽きる。まあそれでよしとするか。
ところで、マルクルの「待たれよ」にはまった。
去年の2月に東京ステーションギャラリーにて香月泰男展ではじめてシベリアシリーズを観て、圧倒されるものがあったが、この本を読んで、もう一度観なければと強く思う。立花隆「シベリヤ鎮魂歌−香月泰男の世界」
香月泰男はシベリアだけじゃないと思っていたけれど、そうではなくてシベリアだけでも思想的とか教条的とか政治的とかにはめこむことなく作品を観ることができるのだということが思った。面白くためになりなる。いつか山口県立美術館。
またまた苦戦していた本を読了。夏目漱石「それから」
漱石は50才に亡くなった。漱石はいまも読み継がれ、研究されている、現代に通じるテーマを持っているのだろうが、正直に言うと全集を持っていながら、「坊ちゃん」と「こころ」しか読んだことがない。そこで読み通すことを私のミニプロジェクトとした、2年くらいで読み通したいと考える。最初は「それから」である。久しぶりに明治文学を読むので苦しい、すらすら読めないのが最初の違和感、しかも心理描写が多くなかなか話が進展していかない。しかし中盤から一気に面白くなってくる。高等遊民の伝助の心の動きもよくわかる。ところどころの文体がまったく現代風で驚く。そして、こんな話だったんだと、話は一気に終わる。
ジュンク堂難波店を書店観光していたら、好きなクライスラービルの表紙の洋書の写真集を見つけ衝動買い。
Manhattan (Photographic Tour Series) 芸術写真ではなく、観光写真ではあるけれど、やはり街に力があるなあ。ところで2,520円で購入したが、このアマゾンで見たら1,461円であった。
これもようやく読み終える。年末から何冊も並行して読み始めたので、読みかけの本ばかり。宮本輝「草原の椅子」主人公が50才で、人生を見つめなおす、そしてフンザへの冒険。すこし池澤夏樹「すばらしい新世界」と共通する、エンジニアの主人公の清潔さと、子どもへの愛情が、癒しを与えてくれる。短絡的な感想、批判、憧れの女性との安易な展開もでてくるが、それでも上下2巻の大作を読む安心感があった。
銅版画体験講座というものに出かける。大阪京町堀のギャラリで、ドライポイントの体験である。島田章三のメゾチントや山本容子のソフトグランドエッチングの作品を観ていて、一度やってみたいと思っていた。さて、プレス機から現れる私の作品は、なんだか版画家になったようなこそばゆい感覚、うれしい。はまるかもしれぬ。
すこしづつゆっくりと読み終えた。鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二「戦争が遺したもの」
鶴見俊輔に戦後世代が聞くという副題があり、小熊英二という新進の学者が戦前から戦後を通じてまさにすべてを真正面から聞き出していく。それに対して鶴見俊輔の話、すなわち彼の生き方は一本芯が通った上に、その芯は柔軟なあいまいさをもつ懐の深いものであり、しかもヤクザの仁義だとの矛盾も露わにして、そのやりとりは刺激的である。それに上野千鶴子がときどき執拗に問い詰めてくる、と思うとインターメッションのときのこまやかな敬愛の会話が楽しい。もっと読み続けたかった。しかし、これだけの思索と行動、そして小熊英二が学問として調べ述べられた知識人たちは戦後60年にどれだけの影響を与えたかという疑問は私の中では重い。
年末に入手した1万人の第九コンサートのDVDをようやく観る。
ミッシャ・マイスキーは知らなかったチェリストであったが、チェリストというのは形が様になるものだ。お目当ては、J・ウィリアムズ「オリンピック・ファンファーレ・アンド・テーマ」であったが、生演奏は収録できず、ボーナストラックとして、曲のみ収録されている。
これがいい。最初のころに木槌のような楽器でカーン、カーンと鳴らすところがいい。ゲネプロの後の休憩で、音大生の奏者に声をかけてそれはなんという楽器ですかと訊いたら、***と答えてくれたのに、失念してしまったのは心残り。第九では、わずか1秒ほど写っている、あ、ここだここだといっているあいだに画面の外へ。しかし、いい体験だった。とりあえずもう1回、3回目を。
2005年もいいことたくさんありますように。weblog風信子を復活します。